

はっ!なんか超王様みたいな人出てきた!



うおおお…ここから中世のスタートです!感慨深いよおお!
めっちゃ書きやすくなりそう!グッバイ石膏イラスト!



お揃いの冠ではないか!
誰だ、カール=マルテルとは。
登場人物


クローヴィス1世
王朝:メロヴィング朝初代皇帝
タイプ:目立ってるのは自分だけ
フランク人をまとめて、フランク王国をつくった。いち早くキリスト教アタナシウス派に改宗したことで、ローマ教会と深い関係になっていくことに。王朝は江戸幕府並みに続いたが、有名なのは自分のみ。
・メロヴィング朝創始者
・アタナシウス派に改宗
日本は古墳時代。


ピピン3世
王朝:カロリング朝初代皇帝
タイプ:小柄
元は宮宰という国王の補佐だった。背が低いので小ピピンとも言われる(おじいちゃんは大ピピン、お父さんは中ピピンだからとも)。息子は最盛期の王カール大帝。
・カロリング朝創始者
・ピピンの寄進
日本は奈良時代。



なんか絵が急にリアルになってる!
ゲルマン人の大移動





前回と言っても結構前ですが、ローマ帝国は最後の皇帝テオドシウス1世によって「西ローマ帝国」「東ローマ帝国」に分断されました。
今回は西ローマ帝国の話から進めて参ります。



昔々ゲルマン人という人たちがおりました。
その人たちは隣のケルト人を圧迫しながらどんどん大きくなっていきました。



ざっくりしているな。この辺のことはカエサルの「ガリア戦記」、タキトゥスの「ゲルマニア」という本に書かれているらしい。
読んだことないがな。


出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


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そんなある日、中国の方から匈奴の一派フン人が押し寄せてきました。
これによりゲルマン人一派の西ゴート人が押し出されるように、西ローマ帝国内に流れてきます。これが有名なゲルマン人の大移動です。



え〜200年も移動してくんの!やば!
どんだけくるんだろ!



その後、原因になってるフン人をなんとかせんと!ってなり、西ローマ+西ゴートで手を組み、フン人のアッティラ王をカタラウルムの戦いで負かします。



しかし20年後、フン人のオドアケルによって西ローマ皇帝は廃位され、西ローマ帝国は滅亡します。


出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


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ゲルマン人国家乱立





うわ!なにこれ、ここどこ!
なんかいっぱいいる!



さっき西ローマに来た西ゴート人を筆頭に、さまざまなゲルマン人たちがやってきて国を作りました。
トップバッターの西ゴート人。711年にウマイヤ朝によって滅亡。
似た名前の東ゴート人は西ローマ帝国を滅ぼしたオドアケルを倒します。最盛期の王はテオドリック大王。
めちゃくちゃ長距離移動したヴァンダル人は、東ゴート人と共に東ローマ帝国により滅亡します。



うわ〜〜〜〜〜!意味わかんない!
おんなじような名前がああ!



フランク人はフランク王国を立てます。ここの話はこのあと広げますね。
そんなフランク人にブルグンド人は倒されます。
一番最後にきたランゴバルド人も同様に倒されます。



変わった名前のアングロ=サクソン人は、現在のイギリスの場所に7つの国を作りました。ヘプターキーといいます。
この辺はまた別の回で詳しくやります。




メロヴィング朝始まる





さて、先ほど紹介したフランク人によるフランク王国。
この国は現在のフランス、ドイツ、イタリアの元になります。
初代国王はクローヴィス1世です。



メロヴィング朝か。なかなか美味そうな名前だ。
はて、アタナシウス派に改宗したと書いてあるが、なんのためにしたのだ?



最初の方、ゲルマン人のプロフィールでキリスト教の異端とされたアリウス派であったと書きました。これってコンスタンティヌス1世がニケーア公会議で「イエスは神か人か」問題を決めたんですよね。





元々この地にいた人は、正統のアタナシウス派でした。
しかし田舎から出てきたゲルマン人たちにアリウス派なので、受け入れにくい存在。
そこでいち早く「郷に入っては郷に従え」をすることで、親近感を持ってもらうことに成功します!



改宗した場所はランスのノートルダム大聖堂。こののち歴代国王の戴冠式はここで行われています。
ノートルダム大聖堂といえばパリを連想しちゃうんですが、違うんですね〜。



素晴らしい…!
ワシもこのような場所で戴冠式をしたい!


出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


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しかし、クローヴィス1世死後は息子に分割統治させるんですが、これが当然の如くうまくいきませんでした。みんなもっと欲しいって欲があるんですよね。
国王が揉めていると政治が疎かになるので、代わりにやってくれる補佐の人が出てきます。宮宰(きゅうさい)です。



この流れ、そう、実権を握るようになってくるのです。
有名なのがピピン1、2世とカール=マルテル。
カール=マルテルは732年に、トゥール・ポワティエ間の戦いで勝利しました。相手はウマイヤ朝です!


出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


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カロリング朝始まる





あれ、さっきメロン朝が始まったとか言ってなかったっけ。



メロヴィング朝は初代国王亡き後、国王は弱体化していったんですよね。
補佐の宮宰のが権力あったので、国王いらなくね?むしろ俺がなるわ!ってなったのがピピン3世です。



ピピンだって!名前かわちぃ!
ゆるふわボブヘアーも似合ってる!



メロヴィング朝14代目国王を廃位&幽閉します。
ここだけだと国王の座を簒奪したヤバい奴になってしまいますが、この辺立ち回りが上手いです。ローマ教皇からお墨付きをもらいました。これによりメロヴィング朝は断絶。カロリング朝が始まります!



ローマ教皇が認めてくれたおかげなので、お礼をします。
ランゴバルド王国のラヴェンナ地方をプレゼントしました。これをピピンの寄進といいます。
こうしてカロリング朝はローマ教皇と仲良しになっていくのでした。


出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
あとがき



なんか中世に入ると書きやすくなってきた!
古代はわからんことが多かったからね。



もう8世紀か…。
有名な王や皇帝が多く出てくるな。



ピピン〜ピピン〜🎵
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