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帝位を奪った残虐な武人皇帝_永楽帝

こめ

初代皇帝の朱元璋も苛烈な人でしたが、息子もなかなか…。

かんじゃ

遺伝しちゃったのね。

しきょう

ガクブルガクブル!

登場人物

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

永楽帝(えいらくてい)

王朝:明王朝3代目皇帝
タイプ:二面性

父の洪武帝譲りの残虐性を持つ。その反面有能で明王朝の最盛期を迎える。

・靖難の役
・宦官登用
・勘合貿易
・南海大遠征
・モンゴル、ベトナム遠征
・永楽大典
・内閣大学士
・北京へ遷都
・紫禁城建設

日本は室町時代。バヤズィト1世と同い年。

しきょう

日本とも関係がある皇帝であります!

孫の邪魔になる有能な部下を消す

こめ

前回の主人公、朱元璋(しゅげんしょう)が亡くなる時、本来であれば長男が継ぐはずでした。
しかし長男はすでに亡くなっており、その子どもの建文帝(けんぶんてい)が即位しました。

朱元璋(しゅげんしょう)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
建文帝(けんぶんてい)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
かんじゃ

なんか気の弱そうな皇帝ね。

こめ

そう、建文帝はちょっと優しくて気弱系の人でした。
それを心配した朱元璋は、孫に刃向かいそうな武闘派を中心に処刑しまくります。これで大丈夫。

かんじゃ

大丈夫じゃないでしょ。
強い系いなかったら、外国とかにも攻められやすいし。

こめ

大丈夫です。建文帝は外国勢力にはやられません。
そして朱元璋の他の息子たちはというと、地方のトップになっています。
今風なら総理大臣が建文帝、知事が他の人たちみたいな?

力ずくで甥っ子を…

こめ

建文帝が気弱なのに対し、おじさんたちは強い武闘派です。
なので部下がおじさんたちの弱体化を図り、自分たちだけでなんとかしようと提案します。建文帝はこれにのりました。

こめ

しかしそんなこと、受け入れてもらえるはずもなく。
靖難の役(せいなんのえき)という反乱をおじさんの永楽帝(えいらくてい)に起こされてしまいました。
これで建文帝は行方不明になります。

しきょう

生存説もあります!

こめ

これで皇帝になった永楽帝は、建文帝の存在を抹殺し、彼の部下たちを消しました。
しかしこの強引な行為、国の学問になってた朱子学の考えに反します。朱子学は主君を敬えとか、そういう感じの考えです。

しきょう

これでは永楽帝は簒奪者として、印象最悪であります!

こめ

なのでそういう朱子学推しの人たちではなく、自分のいいようにできる宦官(かんがん)を登用していきます。彼らは靖難の役で活躍してたり、皇帝に忠実だからです。

イケイケどんどん

こめ

永楽帝は日本の足利義満(あしかがよしみつ)を日本の王と認め、勘合貿易(かんごうぼうえき)をしました。
日本に倭寇を取り締まってほしかったし、朝貢(ちょうこう)させたかったんです。

足利義満(あしかがよしみつ)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
こめ

その後鄭和(ていわ)という宦官に南海大遠征に行かせました。
大航海時代より前に大航海してます。
宝船(ほうせん)で何万人も乗せて、世界中行ってます。

鄭和(ていわ)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
宝船(ほうせん)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
鄭和のルート
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
こめ

その時いろんな動物たちを連れて帰ってくるんですが、一番有名なのはキリンです。神話の麒麟が縁起がいいので、永楽帝はめっちゃ喜んだらしい。嬉しすぎて絵を描かせました。

連れてきたのすごい
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
かんじゃ

頭が悪いバチクソアニマルもいるわ。

こめ

永楽帝はモンゴルやベトナムにも攻めてます。
かなり攻めの姿勢のある皇帝ですね。
対外的にもですが、国内でも攻めてます。

超でかい大作

こめ

苛烈な永楽帝には簒奪の過去もあって、アンチが多かったです。
なので、いっぱい本を書かせて文句言ってる場合じゃなくしました。

しきょう

2万…2877巻!?!?

永楽大典(えいらくたいてん)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
こめ

仕事が多すぎて文句も言えないですね。
あと内閣大学士(ないかくだいがくし)という補佐の役職も作り、都を金陵から北京へ移します。
紫禁城(しきんじょう)は有名なあの城です。

紫禁城(しきんじょう)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
しきょう

中国のイメージの城であります〜!

こめ

永楽帝はモンゴルに攻めていく途中で病気になりました。
その後は息子→息子→息子となるんですが、この辺りから不穏になってきます。
最盛期が3代目って結構早いですよね。

洪熙帝(こうきてい)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
宣徳帝(せんとくてい)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
正統帝(せいとうてい)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

あとがき

こめ

明王朝も過去記事と繋がった!
年内には日本行けるな!

かんじゃ

今年も残り3ヶ月。

しきょう

時の流れが早すぎるであります〜!

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