ちょっとフライングして平安時代の内容もありますが、
遣唐使と奈良時代の民について語ります。
ぽっぽー!
菅原道真大先生!
あ、学問の神様!
遣唐使の流れ
ちょいちょい出てきた遣唐使(けんとうし)について話します。
始まりは飛鳥時代、舒明天皇(じょめいてんのう)により犬上御田鍬(いぬかみのみたすき)が唐に向かったのが始まりです。
この時の唐の皇帝は李世民(りせいみん)であります!
この前に似たような名前のやつもあった気がする。
遣隋使(けんずいし)だっけ?それは唐じゃなくて隋(ずい)か。
その後時はたち、奈良時代になります。
玄昉(げんぼう)と吉備真備(きびのまきび)は橘諸兄(たちばなのもろえ)と一緒に仕事してましたね。
玄宗(げんそう)の時代に行った阿倍仲麻呂(あべのなかまろ)は、有能で気に入られて日本に帰国することがありませんでした。
あれ!?最澄(さいちょう)と空海(くうかい)って遣唐使だっけ?
なんかお坊さんのイメージだったけど!?
てか平安時代になってる!
このブログ書いてある時はまだ平安時代は書いてないであります!
フライングHEIANであります!
そう、まだ書いてないです。
そして皆様ご存知の菅原道真(すがわらのみちざね)が遣唐使をストップさせました。
ちなみに今回は有名どころだけ紹介してますが、遣唐使自体はもっといっぱいいます。
唐・新羅・渤海との外交
遣唐使たちですが、4隻の船で唐に行きます。
これを「よつのふね」といいます。
ただし…この時代の航海技術は今とは比べものにならないので、全員無事に帰ってくることは少なかったようです…。
しかしであります!
南ルートは海の中を突っ切っていくので、嵐が来たら終わりであります!
危険度MAXのルートであります!
新羅とは白村江の戦いで不仲になりましたが、渤海(ぼっかい)という国とは仲良しでした。
渤海から来た人は北陸に来ています。
貧しくて辛い
最後に市民の暮らしです。結論辛いです。
家は竪穴住居(たてあなじゅうきょ)から掘立柱住居(ほったてばしらじゅうきょ)になります。
え、結婚すると男が女の家に通うの?
ヒモ!?ありえな〜い!
ヒモとはまた違うでありますが…。
奥さんの実家に通うってある意味プレッシャー感じるであります!
妻問婚(つまどいこん)というであります!
そして…税金の嵐!
基本的に田んぼを耕す仕事をしますが、これだけだとお金が足りません。
なので金持ちの土地を持っている人にレンタルしてもらい、その土地も耕し、一部利用料として支払います。
やだ〜!金持ちに生まれたい!
毎日田んぼ耕したくない!
冬どうしたらいいの?人間は冬眠できないじゃん!
働けども働けども自分たちの生活は潤わず。
もう料理作ったのもいつだっけか…ってレベルで貧困だったので、その時の様子を貴族の山上憶良(やまのうえのおくら)が万葉集に残しました。
あとがき
ほんとにこれで奈良時代終わり!
さあ…次の時代へ!
なんかめっちゃ勉強した気がするけど、まだ半分もいってないよね?
長いいいいいいいよおおおおお!
もっと知識を吸収するであります!
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