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歴史とは自分にとってなんなのか、考えてみる夜

こめ

こめです。
久しぶりに雑記を書いてみようと思います。
深夜に書く恥ずかしい日記です。

れきしそうしも初めて2ヶ月経ちました。
旧記事も新記事も含め、結構書き溜めてこれてるなと思います。
ゼロからスタートですが、重荷を負うて遠き道を行くが如しの精神でいきます。

旧記事の時もそうでしたが、人の役に立ってるのがわかるととても救われます。

どうやら私は情けは人の為ならず、因果応報とか「人にしたことはいいことも悪いことも自分に返ってくる」的な考えが好きみたいです。

とまあ、このサイトをやれるのは「歴史が好き」という感情のおかげ。
「野球で書いて」と言われても10000%無理です。野球わからない…。

好きこそものの上手なれといいますが、特に歴史はその感情があるなしで理解度が全然変わってくるのではないでしょうか。
いや歴史だけじゃないけど。
興味ないととことんどうでもいいですもんね!
「知らね〜よ昔の人間のことなんて。」という意見もよく聞きました。

じゃあ逆に何がこんなに好きなのか考えてみました。

私はかれこれウン十年一途で情熱的に関心があります。
これって結構すごいと思うんですよ。
ほら学生時代はこのアーティスト好きだったけど、今はあんまり聴かないとかあるのに不思議。

一時的な興味ではなく、ここまでこれているのは何かが強烈に惹きつけてるんですよね。

会ったこともない、声も聞いたことがない、実在してたかも怪しい人物たちに心を奪われ続けている。
なんかやばい人みたいだ笑

私の感情を分析すると、2つあるような気がします。理性的で俯瞰してるものと、理屈じゃなく魂がぐわっとくるもの。

理性の方は「ふ〜ん、だからこうなるのか。このパターン前もあったな」と偉そうに分析しています。
法則のようなものを見出そうとしてるんですよね。
あと歴史って壮大な人辞典だと思っていて、日常生活で相手を理解しようとするとき脳内辞書で似た人を探す癖があります。
歴史辞典はいろんなことが知れます。そういう人間はいずれこうなるとか、こういう経験から発言してるんだとか脳内辞書が増えれば増えるほど精度が高まります。
これはあくまでデータ的な見方であって、そこに私の感情はないです。

もう1つは魂とか心とか、なんか理性とは違うところで惹かれるものです。
「理屈はわかってる。けどそれは私の性格上できない」とか、理性を上回るなにかしら。
これに対して理性の部分が「お前そういうの下手だもんな」とまた俯瞰している。
これのおかげで上手くいかないものもあるけど、あるからこそ楽しめるのも事実。

私は自分が生きる上での美学があって、それをより完成させるために歴史からヒントを得ているのかも。

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