
こめ平安時代後編に入ります!
摂関政治から院政へ!



平安時代まだ終わってなかったのか!



摂関政治ってなんだっけ…。
院政の始まり





この前の平安時代の流れとしては摂関政治。
摂政・関白ポジションの人が天皇を超えるような力を持ちました。
最盛期にいたのは藤原道長(ふじわらのみちなが)。
その息子の藤原頼通(ふじわらのよりみち)の時に、うまくいかなくなっていきます。






出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


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あ〜外戚(がいせき)だっけ?
娘嫁がせまくって権力者ポジションにいくみたいな!



そうです。その辺頼通は道長ほどうまくできませんでした。
後三条天皇(ごさんじょうてんのう)のお母さんは藤原氏ではなく、藤原氏は「天皇のおじいちゃんポジションになり、権力を維持させる」ことができなくなりました。


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こんな感じで藤原氏はずっと天皇家に入ってこようとするので、後三条天皇からすると「ちょっと…」って感じです。
なので源氏の奥さんの子どもに期待をかけます。



藤原嫁もいるのに。大人の事情かな。
でもこの相関図だと藤原氏側が次の天皇に!?
遺言無視





先の理由で後三条天皇は藤原氏に力を持たせたくありませんでした。
ですが源氏の子どもはまだ生まれたばかりで、とても任せられません。
なので一旦白河天皇(しらかわてんのう)になってもらい、その後源氏に…と遺言に残しました。



そんな扱い、白河天皇からしたら面白いわけないですよね。
源氏の長男の実仁親王(さねひとしんのう)が15才で病死し、次は弟の輔仁親王(すけひとしんのう)…となるはずでした。
白河天皇は後三条天皇の遺言を無視し、自分の息子の堀河天皇(ほりかわてんのう)に譲位します。


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え〜そんなんあり!?!?
死んじゃったらなんも言えね〜!



輔仁親王は白河天皇に睨まれて、力を持つことができません。
堀河天皇はというと、まだ幼く、藤原氏の協力を求めます。この辺摂関政治の雰囲気を少し取り戻すんですが、すぐに萎んでいきます。



藤原師実(ふじわらのもろざね)の息子の息子は力不足なんか…。


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院政本格始動





堀河天皇が病死してしまいます。
その後息子の鳥羽天皇(とばてんのう)が即位。
しかし5才。それでサポート役の藤原氏も実力不足。そうなると仕事できるのが白河天皇(この時上皇)しかいません。


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無理矢理俺が支配する!ってことじゃなくて、自然の流れでなるんだね!



白河天皇は上皇→法皇となります。
立場的に一番偉いのは天皇ですが、5才なので実力はあるはずもなく。
なので上皇・法皇が力を持ち、院政が始まっていくのです。



この辺の時代、同じ人を指すけど時期によって呼び名が変わる面倒な感じ。



この治天の君とは院政のトップのことですが、上皇や法皇が全員なれるわけではありません。
「治天の君」という席に先に誰か座ってたら、その人がいなくなるまで埋まってます。しばらくはずっと白河法皇がやってます。



譲らなそ〜笑
院政組織





天皇や藤原氏がいるところを朝廷、上皇がいるところが院御所(いんのごしょ)といいます。本来なら上皇は隠居生活みたいになるんですが、この時代は院政なので職場になります。



トップはもちろん上皇(院ともいう)。役所は院庁(いんのちょう)。
役所の職員のことは院司(いんし)といい、男女ともにお気に入りの人で構成されます。



権力者のお気に入り…これは濃厚な欲望の匂いがしますわ!



色んな意味で寵愛された人たちです。
注目なのは中級貴族や乳母(めのと)。これまではガチガチの身分社会で、身分低い人は何やっても上までいけないって仕組みでしたが、院政では気に入られたら上層部に食い込めます。



高貴な身分の人は自分で産んだ子どもに母乳は与えません。ベビーシッター的な人がやります。それが乳母なんですが、天皇も乳母に母親のように育ててもらうので、親近感が湧くわけです。



まあ嫌いな人を側に置きたくはないわな!



上皇が発することは院宣(いんぜん)、院庁が出すのは院庁下文(いんのちょうくだしぶみ)。
これらが各地に命令として出されます。



あと防衛面も忘れてはいけません。
それは北面の武士(ほくめんのぶし)と呼ばれた上皇直属の武士集団。
この中に平清盛(たいらのきよもり)のおじいちゃんやお父さんがいます!
源平合戦の匂いがしてきますね!



北面て、南と西と東は守らんの?



上皇が住んでる場所から北側の部屋にいたのでそう呼ばれているだけで、北しか警護しませんってことではないです。
戦うって血が出るし汚れるし、それは貴族にとって自分たちはやりたくないことなので、武士に任せたということです。



んだよ、自分は手を汚さず雅にしてんのかよ!
けっ!
白河法皇の思い





白河天皇は仏教にハマってました。
法勝寺(ほっしょうじ)というお寺を建てます。
この後「勝」がつくお寺が全部で6つでき、それらを六勝寺(ろくしょうじ)といいます。残念ながらのちの応仁の乱で消失し、現在はありません。


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熊野と高野って聞いたことある!
お参りのイメージ!



そんな仏教Loveな白河法皇ですが、お坊さんに頭を抱えます。
「オレら神に仕えてんだぞオラァ!」って感じで圧をかけて訴えてきます。
そんな人らを攻撃するのって罰当たりだし、仏教Loveなら尚更やり返しにくい相手。
うまくいかねーと言葉を残してます。



比叡山延暦寺って…織田信長(おだのぶなが)じゃね?!
信長はここをやっちまうのか!すげえな!



院政を始めた白河天皇ですが、77才で亡くなります。
なんと42年くらいトップにいました。
そこで治天の君の席は孫の鳥羽上皇に移ります。
そして天皇は息子の崇徳天皇(すとくてんのう)です。


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あれ崇徳…って、この人もなんか聞いたことある!
なんだっけ…。有名な気がすんだけど!
あとがき



いや〜ドキドキしてきますね!
どうなっていくのか!



マジ思い出せない…崇徳…。
ねぇ知らない?



私が知ってると思う?キリッ


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コメント一覧 (2件)
日本史の更新お待ちしておりました!
本当にありがとうございます!!
よもぎさんこんばんは!
しばらく日本史になります!頑張って描きます!