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天皇家、摂関家、武士の戦い!身内で争う保元の乱!

こめ

1156年、保元(ほうげん)の乱勃発。
その前の流れは一個前の記事で見てね。
それぞれが身内同士で戦う、学ぶ側もしんどい戦い。

こかい

俺らもしんどい?

ひるま

わ〜!この何年に何があったか覚えるの苦手!多すぎ!

抗争図

こめ

今回は相関図ではなく抗争図です。
見てください。赤い線で敵味方を分け、それぞれの家を上下で分け、関係性を丸で書いてます。

こかい

おおお!平清盛(たいらのきよもり)初登場!
有名人でると覚えるの楽でいいね!
あれ、平氏(へいし)源氏(げんじ)で味方同士の人もいるってこと?

平清盛(たいらのきよもり)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
こめ

そうです。
天皇家は兄弟(多分)関係。
摂関家も兄と弟+父。
武士は源氏と平氏がいて、親族がそれぞれ分かれてます。ここが覚えるの一番キツい。

こめ

天皇家は崇徳上皇がこれまでの理不尽にブチ切れます。
摂関家は「天皇のおじいちゃんポジション」を狙う外戚関係を作るため、関白藤原忠通(ふじわらのただみち)は崇徳上皇に娘を嫁がせますが、子どもができませんでした。
これもあってか、忠通は崇徳上皇と距離があります。

崇徳天皇(すとくじょうこう)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
こめ

当初忠通も子どもができなかったので、弟の藤原頼長(ふじわらのよりなが)を養子としました。しかしその後、忠通に子どもができ、やっぱり自分の子どもが可愛いって感じます。
振り回された頼通もキレ、父も弟の味方をします。

兄の藤原忠通(ふじわらのただみち)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
弟の藤原頼長(ふじわらのよりなが)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
こかい

あれ、この親父って前々回に実力不足とかなんとか言われてたよね。
弟は弟で性格がキツくて浮いてるし、大丈夫か??

こめ

最後は武士。彼らは北面の武士なので、いわゆるボディガードの役目です。
その中でも力があったのが平氏と源氏。そのトップにいる清盛、源義朝(みなもとのよしとも)は勝てる見込みがある後白河天皇(ごしらかわてんのう)につき、他の人はそれぞれの事情や心情もあり、こうなります。

源義朝(みなもとのよしとも)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
後白河天皇(ごしらかわてんのう)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
こめ

トップと違う勢力に行くのは不思議に感じますが、武士もまだそこまで一枚岩じゃないし、同じ一族で固まるというより「自分の主人の方にいく」って感じですね、この時はまだ。
上皇や天皇も武士一族箱推しではなく単推しなので。

こかい

なるほど…院政は「推しか推しじゃないか」か。
色々思いがあるのはわかったけど、覚えるのめんどくさいから同じ苗字で固まってくんないかな…。
てか清盛以外知らんわ〜。

こめ

義朝は確かに知名度は清盛ほどではないですが、息子は超有名人。
その名は頼朝(よりとも)義経(よしつね)

こかい

え、マジ!!!???

集まる仲間たち

こめ

保元の乱の数日前。後白河天皇の命令で義朝を派遣し、頼長の家を没収しにいきます。
あの栄華を極めた藤原氏が家宅捜索から没収を喰らうなんて…とんでもない屈辱です!

ひるま

家とられたらどーすんの?

こめ

崇徳上皇勢力に参加します。もう戦うしかありません。
部下から「ここにいては捕まるので、白河法皇(しらかわほうおう)が住んでた場所に行き、崇徳上皇こそ治天の君だと発信しよう」と提案され、崇徳上皇は移動します。

こめ

一方後白河天皇勢力は盛り上がっておりました。

ひるま

ねーこれ絶対法皇の方が勝つんじゃない?
メンバーも強そうだし…。

夜襲どうする

こめ

ここで両勢力の中で「暗いうちに敵陣に攻めよう」と話が出ます。
後白河法皇は賛成、崇徳上皇勢力では頼長が反対します。
これが勝敗を分けます。

保元の乱
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
こめ

義朝がトップバッターで攻め込み、同じ源氏の源為朝(みなもとのためとも)が応戦します。
この時代はロウソクしかないから大変ですよ。
この後清盛の軍も到着し、崇徳上皇勢力は負けてしまいました。

源為朝(みなもとのためとも)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
こめ

後白河天皇は大満足。
参加者はみんな昇進します。
でも忠通はイマイチな反応。藤原氏のトップを選ぶのは藤原氏で決めるので、天皇に言われたくなかったようです。

敗者と黒幕

こめ

負けた人たちはどうなったか。
崇徳上皇は讃岐(さぬき)、今の香川県に島流し。
天皇や上皇クラスの人が島流しに合うのは淳仁天皇(じゅんにんてんのう)の時以来、約400年ぶりのことでした。

ひるま

前の時も天皇VS上皇じゃん!
香川県なら美味しいうどんを毎日食べれるね!

こめ

頼長は戦いの中で矢が首に刺さります。
衰弱する中、なんとか父のところまで帰るも拒絶され、失意の中亡くなります。

ひるま

知りません?!
なんなのこの親父!息子を見捨てるの!?

こめ

平氏、源氏も自らの手で身内を処刑します。
為朝は逃げてちょっと伝説になってます。
特に武士に対しての処罰は厳しく、血生臭い雰囲気が漂いますね。

こめ

さて勝者の後白河天皇はというと、藤原南家出身の現在僧侶になってる信西(しんぜい)と話しています。
実は後白河天皇は信西の指示で動いていました。全ては信西が掌の上で起こったことでした。

ひるま

ええええ!意外な人が黒幕!
影薄くて忘れてた!

日本国の大魔縁となる

こめ

讃岐での崇徳上皇は、写本を頑張って作ってました。
仏教を書き写して、戦死者への弔いや自信の反省の意味があったそうです。
そうして5つ書き上げ、京の寺に納めてほしいと送ります。

こかい

印刷技術がない時代に失敗したらと思うと…。ゾッ!

こめ

後白河上皇はこれを拒否。キモがって呪われるから送り返してきました。
それを知った崇徳上皇は怒り狂い、天皇家を恨み、舌を噛み切りその血で「日本国の大魔縁となり、皇を取って民とし民を皇となさん」と記したそうです。

こめ

その後も髪や爪を伸ばしっぱなし。
崩御された時も棺から血が溢れてくるなど、ホラー要素てんこ盛り。

崇徳上皇の闇堕ち
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
こかい

ガクブル。
そして思い出した!怨霊で有名なんだ!

こめ

菅原道真(すがわらのみちざね)平将門(たいらのまさかど)と共に日本三大怨霊と言われていますが、そりゃ怒りますよって言いたくなる。
あまりにも尊重されなさすぎて…。
この怨霊の影響?は後白河法皇にも届き、身内が次々亡くなっていきます。

こめ

ちなみに縁切で有名な安井金比羅宮(やすいこんぴらぐう)は崇徳上皇が主祭神です。
昔行ったことありますが、おみくじがいい香りがしてよかったです。確かに絵馬は怖かったけど。

この穴の中を潜ります
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
こかい

え〜あの有名な神社、そうだったの!?

あとがき

こめ

次回も戦いが始まる!武士の世ですね。

こかい

戦争はやめようとかいうけど、戦争史みんな好きだよね。

ひるま

藤原が終わったら今度は平と源がいっぱい…。

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