
こめ混乱の五代十国時代を終わらせ、宋(そう)の時代になります!
宋は前半後半で分かれており、今回は前半の北宋(ほくそう)をやります!



北宋は文系の王朝であります!



王朝にそんな分類が?
体育会系より文系理系





五代十国時代ラストの後周の時、武人の趙匡胤(ちょうきょういん)が推されて皇帝になりました。これが宋(以後北宋と呼びます)。
都は引き続き開封(かいほう)。


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趙匡胤さんは自分が体育会系なのに文系理系の国にしたかったの不思議だゾ。



五代十国は混乱期。そこで活躍したのは軍のリーダー節度使(せつどし)。なので安定させたいならその逆をやろうとします。
目指すは教養のある政治!文治主義を掲げます。



節度使は皇帝直属の軍に、政治は文官がやるように仕組みを変えます。
あと政治家になる試験、科挙(かきょ)では最終面接を皇帝がやります。
これで人事決定権は皇帝が握るので、皇帝の力が上がります。



おお〜!面談苦手な人ドンマイだゾ!



武力で勝った時代から知性の時代へ!
しかし文系理系の登用が増えたことで体育会系の武人たちが弱体化し、外敵に対し悩みが増えていくのでした。
千年経っても謎





趙匡胤が急死します。息子がたくさんいたのですが、次の皇帝は弟の太宗(たいそう)。普通なら弟より息子がなりそうなのに…この即位に不穏な噂が流れます。千載不決の議といい、千年経った今でもはっきりわからない出来事です。


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真実は闇の中であります…!



太宗の時に五代十国の北漢(ほくかん)を倒し、正式に中国統一します。
そのまま勢いで契丹族(きったんぞく)に売った燕雲十六州(えんうんじゅうろくしゅう)を取り返そうとしましたが、失敗しました。



ここで一旦この時代に力を持った人たちの話をします。
さっき話した科挙に合格した人がいる家を官戸(かんこ)といいます。
科挙は能力重視のガチ試験なので、金持ちの息子でもバカなら通りません。



だからって貧乏人が合格する確率は低かったであります!
科挙の試験は難易度が高く、猛勉強しないと合格できないであります!



勉強をするには本を買い、塾に行き、家庭教師をつけ…。
これらはお金持ちだからできることであり、貧困の農民は字も読めないし、いくら身分じゃなく能力重視とはいえ…って感じでした。



金持ちは地主で土地をいっぱい持っており、形勢戸(けいせいこ)といいます。この人たちはいっぱいある土地を佃戸(でんこ)に頼んで耕してもらってます。雇い主と雇われの関係です。



今まで貴族が強かったけど、五代十国で武人の時代、そして士大夫(したいふ)というエリートの時代になっていったのであります!
外敵に怯える





太宗亡き後、息子の真宗(しんそう)になります。
この時に北宋の上の方にある遼(契丹族の国)が攻めてきました。
武人を減らしたことで、攻撃しても勝てると思われてます。


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北宋はプレゼントするので攻めて来ないでと、澶淵の盟(せんえんのめい)を結びます。遼もそれならOKってことで戦争にはなりませんでした。
これ以降4・5代と続きますが、プレゼント料金が国を蝕んでいきます。


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毎年こんなにあげてたらお金なくなるゾ。



6代目神宗(しんそう)は悩みます。
プレゼントしなければ攻めてくるかもしれない。しかしこのままではお金がなくなってしまう。
そこで国の仕組みを変えようと立ち上がった王安石(おうあんせき)という真面目な政治家がいました。


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新旧対立





王安石はこの国をよくする方法をいっぱい考えました。
新しい法律は上記の通り。国を豊かに強くするには、貧しい人や中級層を支えないと。なので富裕層に負担がいく内容でした。



それでもみんなが納得する方法はないのであります!



富裕層は面白くないです。また、王安石の新法は急激な改革内容なので、保守派の司馬光(しばこう)らは反対します。
前の方がいい旧法党。変えたい新法党。いつの時代も揉めますね。


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司馬光が悪人ってわけじゃないであります!



揉めてく中で神宗と王安石が亡くなります。
その次の次の皇帝、徽宗(きそう)の時代になります。
悲惨な最後





徽宗は絵が尋常じゃないくらい上手でした。
アーティスト皇帝なので、政治に興味ありません。
めんどくさいので人に丸投げしました。


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ぬんんん!?!?!?!?う、うまああああああ!!!!!!!
こ、これは皇帝してる場合じゃない画力!!!!!
字もキレイイイイイイイイ!!!!!!!



やる気がないので悪い政治家に任せてても気にしません。
そんなことより自分が絵を描くのに相応しい環境を用意してもらったり。
市民は苦しんでいきます。



そして悲劇は起こります。
異民族の国、金(きん)が攻めてきました。
これにびっくりした徽宗は皇帝を投げ出し、息子の欽宗(きんそう)に押し付けて退位します。


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ん〜クズ。



欽宗は頑張って悪い政治家を追い出し、いい国づくりを始めようとしましたが、すでに時遅し。
靖康の変で金が都を攻め込み、徽宗と欽宗は捕まり、金に連れて行かれました。



北宋滅亡しちゃったゾ!
欽宗可哀想だゾ!



欽宗もですが、奥さんや女官も酷い目に遭います。
女性たちは無理矢理身を売ることになり、悲観して命を絶つ人も。
いや…エグいラストでした。あんな平和に始まった北宋だったのに。
あとがき



寝違えて首が痛すぎる。



ボクも寝違えることあるゾ。



ネチガエ…?


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