土日更新目指してます!古い年代から進めて今に至る。

古墳時代の内乱勃発!磐井の乱(継体天皇と大伴金村と物部麁鹿火)

こめ

やっと棒人間じゃない人たちが会話するくらいの話になってきた!

わしみ

て!天皇…!

うづき

同じ日本人なのに顔の圧が違う〜!

越前より

こめ

この頃の話はのちの奈良時代に書かれた日本書記に書かれていることです。
リアルタイムで書かれたものではないです。どこまで事実に基づいた内容なのか、いろんな意見があると思います。

わしみ

…?はて。
25代天皇とは。初代からの記憶がないな。

こめ

初代天皇のことが書かれているのは古事記という書物です。
こちらもリアルタイムではないです。
神話になるので学校の授業では出ないのかもしれません。教育関係者じゃないのでわかりません。

わしみ

それで唐突な25代か。
まあいいだろう。続けよ。

こめ

武烈天皇(ぶれつてんおう)も実在が怪しい人のようですが、日本書記でとても悪く書かれています。暴君で、後継者を残さず亡くなってしまいました。
そこでヤマト政権内で「後継者どうする問題」について議論をしました。

こめ

大連(おおむらじ)という偉い役職の大伴金村(おおとものかなむら)、の物部麁鹿火(もののべのあらかひ)は、現在の福井県在住の継体天皇(けいたいてんのう)に何度かお願いし、天皇になってもらうことになりました。

こめ

決まってよかった。
それではその頃の海外の様子も見ていきます。

大伴金村
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
物部麁鹿火
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
継体天皇の像
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

海外情勢

こめ

すぐ近くの国、朝鮮半島では4つの国ができておりました。
最強なのが高句麗(こうくり)。高句麗は上からどんどん勢力を拡大してくるので、その下にある新羅(しらぎ)百済(くだら)は玉突きのように加耶(かや)を圧迫。

うづき

かやちゃーーーーーーーーーん!!!死ぬな!

こめ

百済と加耶と仲良くしていたヤマト政権ですが、百済から「新羅に負けないようにピンクの土地をくれ」とお願いされます。
そこで大伴金村は、交換条件「頭いい人をよこして」を出し、加耶の土地を渡します。

うづき

は?なんでかやちゃんの土地を他の国のおっさんが勝手に渡せんの?

こめ

ヤマト政権はこの辺を支配下に置いていたようです。高句麗の碑に書かれていたり、古墳が見つかったことがあります。

こめ

しかしのちにこのことで「賄賂もらってただろ」と追求されたり、この後出る反乱鎮圧に失敗したり、大伴氏は失脚させられました。

昔の俺たちは…

こめ

継体天皇の話に戻ります。
更なる朝鮮半島進出を目指し、近江毛野(おうみのけな)に指示します。
朝鮮に行く拠点地が、筑紫君磐井(つくしのくにいわい)がいる現在の福岡県です。

うづき

さっき突っ込まなかったけど、なんなんこの名前は…。
なげぇ…。

こめ

筑紫君磐井は前からヤマト政権が好きじゃありませんでした。
「朝鮮半島にヤマト政権が攻め込んでくる」と知った新羅は、筑紫君磐井を利用します。

こめ

近江毛野は朝鮮半島に攻め込むために、福岡県の拠点地まで行きました。
そこで磐井に海路を封鎖されてしまいます。
この反乱が磐井の乱です。

うづき

反乱の時に名前がつく者は…!磐井!生きろ!

磐井の乱

こめ

近江毛野が困っていると、物部麁鹿火がやってきて筑紫君磐井を斬りました。
反乱者の墓とか残ってなさそうですが、筑紫君磐井は生前に作っていたようで、古墳があります。

わしみ

岩戸山古墳(いわどやまこふん)か。時間があれば空から見てみようではないか。

岩戸山古墳
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
こめ

筑紫君磐井の息子は自分たちの土地を差し出すことで、命が助かります。
あ。近江毛野は朝鮮半島に行けましたが、いろいろ失敗し、帰路で病死しました。

こめ

そして加耶は結局新羅に倒されてしまいます。
これによりヤマト政権は朝鮮半島での拠点を失うのでした。

継体天皇の後

こめ

継体天皇の後の2人の天皇については、また謎の部分が多いです。
おそらく内乱状態だったと言われてます。
その後は息子の欽明天皇(きんめいてんのう)になりました。

こめ

朝鮮半島内はまだザワついているので、倭国に味方でいてほしい聖明王(せいめいおう)が、ズッ友の証として仏教を教えてくれました。
この仏教伝来の時期も諸説あるのですが、上の年代の方が有力です。

うづき

ちょ!天皇めっちゃハマってるやん!

こめ

仏教を推したい欽明天皇は有力豪族たちに「仏教いいよね、広げたいけどどう?」と聞きます。
そこでノってきたのが蘇我氏(そがし)。反対したのが物部氏(もののべし)です。この物部氏は、磐井の乱を鎮めた物部麁鹿火の一族です。

わしみ

対立の火種にならぬといいがな…。

欽明天皇
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

あとがき

こめ

まだ日本史書きにくい…。飛鳥時代までいけば変わるか?

うづき

昔すぎて曖昧なんだね〜

わしみ

だがようやく人物たちによるやりとりが見えてきただはないか。

この記事が気に入ったら
フォローしてね!

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!

コメントは運営者が確認次第、表示されます!

コメントする