土日更新目指してます!古い年代から進めて今に至る。

ビザンツ帝国の最後…ローマ帝国の意思よ、永遠に!

こめ

聖像問題で揉めてたビザンツ帝国ですが、
そこから終焉までまとめました!

かんじゃ

流行りの裏ピースかしら。
血がついているけど。

ひつじだ

やだあああ!怖いい!

マケドニア朝

こめ

全王朝のアモリア朝の皇帝を倒し、農民から皇帝に出世したのがバシレイオス1世です。
このマケドニア朝がビザンツ帝国最盛期になり、文化は繁栄、領土も拡大しておりました。

ひつじだ

そうなんだ!
ユスティニアヌス1世とかが最盛期だと思ってた!

こめ

その後は兄弟や子どもが後を継ぎ、次に有名なのがバシレイオス2世になります。
最盛期の王朝の最盛期の皇帝です。

バシレイオス2世
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
かんじゃ

頭の飾りが派手柱ね。
爆弾や音の呼吸使うのかしら。

こめ

あだ名がブルガリア殺し!
敵対していたブルガリア人の捕虜1万4千人を100人の組に分け、
その中で99人の両目を潰し、1人は片目のみを潰して帰国させました。

かんじゃ

なんで1人だけ片目なのか…。
ああ、全員目が見えないと帰国できないものね。
案内役ってこと?

ひつじだ

きゃーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!!!
バタッ

こめ

帰国した兵士の様子を見て、ブルガリアの王はショック死します。
兵士として戦うことができない状態にされ、戦意も削ぐ作戦でしょうか。
しかし、強かったバシレイオス2世の後の弟はポンコツで、どんどん衰退していきます。

コムネノス朝

こめ

マケドニア朝はどんどん混乱していき終了しました。
その後ドゥーカス朝コムネノス朝と続きます。
ここで外の方からセルジューク朝が進行してきます。
これに対し皇帝のアレクシオス1世ウルバヌス2世に救援要請をだします。

アレクシオス1世
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ウルバヌス2世
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
かんじゃ

あの子気絶しちゃったから私がやるしかないわ〜。
この教皇何回も見たわ。十字軍ができるんでしょ?

こめ

そうです。
セルジューク朝と戦うためにヨーロッパの方から十字軍がやってくるんですが、ちょうどビザンツ帝国は中間地点にあり、戦場になりやすくなってます。

こめ

戦場になるってことは、当然町は破壊されますので、国としては衰退に向かっていきます。

亡命政権

こめ

コムネノス朝のあとはアンゲロス朝です。
この王朝の時に第4回十字軍がコンスタンティノープルに攻めてきました。
ここにラテン王国を十字軍が建国。文化もヨーロッパ化していきます。

かんじゃ

滅亡まではしなかったんだ。
で、亡命した人がニカイア帝国とかいうのを建てて、虎視眈々と再興する機会を伺って繋いでたってわけ。

こめ

そうした甲斐がありました。
コンスタンティノープルの奪還に成功し、ニカイア帝国を終了させて再興。
ラテン王国は滅亡します。

かんじゃ

でも今更復興しても元に戻らなくない?
なんか時代が変わっちゃってる感じ〜。

パレオロゴス朝

こめ

さあ最後の時が近づいてきました。
パレオロゴス朝です。
復活を目指す皇帝たちでしたが、すでに時代は移り変わり、ビザンツ帝国の真の復興は困難なものになってました。

かんじゃ

あ〜あ。

こめ

最後はオスマン帝国のスルタン、メフメト2世がコンスタンティノープルの攻略にやってきました。
最後の皇帝コンスタンティノス11世は正々堂々戦って戦死したとされます。

コンスタンティノス11世
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
メフメト2世
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
打って出るコンスタンティノス
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
こめ

こうしてローマ帝国の意思を継いだビザンツ帝国でしたが、滅亡の時を迎えました。
ローマ帝国は東と西に分かれ、東ローマ帝国として頑張ってきましたが、山あり谷ありでした!

ひつじだ

うう…。

かんじゃ

やっと目が覚めたわ。

あとがき

こめ

お次はどこの国にするか迷い中。

ひつじだ

わあああ!ごめんね!
私何もしてなかった…。

かんじゃ

次回罰として1人でやんなさいよ。

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