土日更新目指してます!古い年代から進めて今に至る。

幸せな別れ

こめ

これは愛犬を亡くした飼い主としての思いを綴るものです。
通常の雑記とは異なり、愛犬とのエピソードを長々と書きます。

5月13日の夜、愛犬が旅立った。
その日は私の帰宅が遅く、ご飯を食べさせるのがいつもより遅れた。

17歳まであと数ヶ月。立派なおばあちゃん介護犬。
寝たきりなので体を起こし、いつも通りスープ状にしたご飯をスプーンで食べさせていた。

ここ数日食べるスピードは遅くなっていた。
口をなかなか開かないこともある。だから声をかけて食べたら褒めるを繰り返す。

この日も同じようにして、完食したので褒めた。
しかし最後の一口のあと、咀嚼しないので「どうした?」と思って顔を覗き込む。
目と口を開いたまま首がぐにゃっと曲がって、瞬間的に危ないと感じた。

名前を何度も呼び、食後なので詰らせたと思い、震えながら病院に電話をする。
いつも通院していた病院はもちろん時間外。
夜間対応をしている病院に自宅でできる対応を聞いたが、適切な処置をするには病院に行くしかない。
しかし時間がかかるので間に合わない。
その葛藤をしている中、あの子の様子を見て、もう亡くなっていると悟る。

筋肉が緩んでおしっこがたくさん出た。抱っこしていたので、あの子の体は濡れなかった。
これまでの頑張りに労いの言葉をかけ、抱きしめ、風呂場でシャンプーをして身を綺麗にする。
死後硬直が始まる前に目や口を閉じ、横に寝かせる。

その日の夜は泣いて寝れなかった。
鼻水、頭痛、めまい、ふらつき、痙攣。
「ついにこの日がきた」と受け入れてるけど受け入れたくない感情。
「食後だったので私が窒息させてしまったのかも。私がとどめをさしてしまったのかも。」という恐怖。
気を逸らすためにどうでもいいネット記事を見たりしたが眠れず、もうyoutubeで輪廻転生とかそういう類の動画を朝まで見る。

翌日も夕方までずっと涙と鼻水が止まらなかった。
顔が蜂に刺されたように腫れ上がる。

この日はたまたま有給をとっていたので、入れてた予定をキャンセルし、火葬の予約、病院へのお礼、役所など対応をした。
残りの時間は愛犬との時間に当てる。


朝イチでお世話になった病院に行き、お礼の挨拶をした。
この病院に通ったおかげで、あの子はここまで生きれた。

亡くなった時の様子を話し、最後まで食事をしたことに驚かれた。
「普通この段階の子は、食事も水を飲むこともできず、衰弱していく。」と。
私は満腹で満たされて亡くなったとポジティブに思う気持ちもあったが、私のせいだったかもしれないと不安を伝えた。

「窒息だった場合苦しみます。今の話を聞いてそれはないです。」

確かにポックリと亡くなったので、その不安は薄れ気持ちが楽になった。

院長は「この子の場合、生き抜いた」と言った。
実は亡くなった日も病院に来ていたが、体重も増え壊死していた足の一部もほとんど完治していた。
体重が増えていたのは心臓が弱ってきたことによるむくみや、おしっこを出す力の低下で、膀胱が膨れていたから。
しかし壊死しかけていた部分の治りは、あの子も家族も手当をした賜物。

「今頃元気に走ってますよ。」「私たちもいずれそっちにいくので。」
温かい言葉をいただき、受付の方と一緒に外に出て見送ってもらえた。

帰宅後はずっと一緒にいて話をした。
思い出、感謝、労い、再会、寂しい思い。延々とそのことばかり。
顔を撫で、頬擦りをし、全身を撫でた。

心の中で生き続けるというのは当然そうだが、この可愛い体に触れていられる時間は限られている。
可愛がっていた飼い主ならみんな私と同じ、いろんな感情を抱くだろう。

ペットとは不思議なもので、私にとっては娘のようだ。
でも人間同士だったなら衝突もあるだろうし、ここまで想えているのかわからない。
100%の愛情を注ぎ、返してくれる。本当に不思議だ。

夕方は花束を買いに行った。
原色の明るい色が似合う子なので、ひまわりやガーベラを中心に選んだ。
帰宅後は明日に向け準備をする。
この前のように寝不足ではいけないので、しっかり寝るように整えた。

火葬当日。天気は晴れ。
準備をして7時半くらいに家を出る。
そこから近所の人に挨拶をし、お寺に向かった。
向かう間、ずっと頬を撫でていた。
とうとうこの子の体と別れないといけない。

お寺についてから、お経を唱えてもらう。
途中で住職さんから声かけと触れていいと言われ、あの子の顔をこちらに向けて名前を呼んだ。
驚いたことに、家から出る前は目と口が閉じていたのに、目を開け笑顔の表情に変わっていた。
私と母は泣きながら笑って、蘇るんじゃないかと思った。そのくらいはっきり表情が違うのだ。

お経の後、住職さんに確認すると、死後硬直が解かれて緩むこともあるそうだ。
しかしこのタイミング。色々と持ってる子だ。
小さい木の数珠をつけてもらえて、手厚くしてもらった。

その後火葬場に移動し、最後に花を飾ったり、生前愛用していたものを添える。
さっきより目が開いており、いつもの寝起きの姿と変わらない。
最後まで声をかけ、撫でて見送った。

終わるまで控え室にいた。
そこで骨壷の袋など、祭壇にお供えするものなど決めた。
あの子は赤い首輪をしていたので、赤い骨壷カバーにした。

お昼前に終了し、あの子のお骨が綺麗に並べられた状態で見る。
頭の先から尻尾の先まで、順番に生前の体調について説明していただけた。
本当によくこの体で生きていたと思うくらい満身創痍で泣けてきた。
この小さい体でどれだけ頑張ってくれていたのか。

その中で「笑顔のお骨」と呼ばれる小さい2本の骨が残ったことを教えていただけた。
生前よく笑って表情筋を動かし、鍛えられたことで残ったらしい。
確率の問題で、残らないこともあるそうだ。
喉仏も綺麗な観音様の姿をしていて、最後まで奇跡を残してくれることに胸がいっぱいになる。

住職さんからもありがたいお話をしていただいた。
奇跡は双方の思いが同じでないと起こらない。飼い主だけのエゴでもならないし、この子も生きたいと最後まで思っていたということ。

お骨になった姿を見て悲しくなると思っていたが、嬉しい気持ちだ。
こんなにも立派に生きてくれて、最後まで全うしてくれて、同じような気持ちでいてくれて、
この子のパートナーになれたことが誇らしい。

私と母と住職さんで納骨し、全てを終えお寺から出た。
骨壷を抱っこし、病院の前を通りお礼をし、そのまま散歩コースを進んでいく。
その道中、蛇を2匹見た。いつも見るわけではない。

検索してみると再生の意味があるようなことが書かれており、「ああこの子はいい一生を終えて生まれ変われるんだ!」と思うようにした。

愛犬の死は必ず訪れるのはわかっていたが、いざ本当に迎えると心に穴が空いた。
あんなに頑張ってたからこれ以上頑張れとは言えないし、でも別れたくないし。
だから私もあの子に報いようと、取り乱さないように我慢をしていた。
ここから長いことペットロスになり、鬱っぽくなっていくんだと生前は想像していた。

だけど実際はどうだ。
とても晴れやかで幸せいっぱいだ。
悲しさや寂しさを上書きする小さな奇跡で満たされた。

現実的な視点と精神的な視点。どちらもバランスよくいるのだ。
例えば窒息させたかもしれないと不安になっていた時、「そんなことないよ、大丈夫だよ」と言われても救われなかっただろう。
お経の際に笑顔の姿を見て、「笑ってくれてる」と思える方が幸せだろう。

あの子は亡くなった後も私をペットロスで苦しませないように、笑顔にしてくれた。
なんていい子なんだ。
思えば満腹になった直後私の腕の中を最後の場所に選んでくれたり、後悔しようがないくらいの最後だ。
11月1日の犬の日に我が家に来て、5月13日の愛犬の日に旅立った。

一週間くらいたつが、ロスがない。
今もずっと家にいるし、たまに膝の上で笑ってる感じもする。
生前の時と会話の内容も変わらず話題が出るし、近くで寝ているような雰囲気。
こんな幸せな別れがあるのかと、自分でも驚いている。

あの子は必ず生まれ変われる。
神様に100点の人生だったと報告し、神様からも褒められているはずだ。
そんな親心で見守っている。

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