
こめ今回は平氏の成り立ちと、平清盛(たいらのきよもり)による平氏フィーバーについて解説です!



フィーバー!フィーバー!



平将門(たいらのまさかど)も過去にいたよね!
同じ平氏?
平氏のご先祖様





まず平氏は元を辿ると天皇になります。あとででる源氏も同様です。
平安京の遷都で有名な桓武天皇(かんむてんのう)、仁明天皇(にんみょうてんのう)、文徳天皇(もんとくてんのう)、光孝天皇(こうこうてんのう)の4人の天皇になります。


出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


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平氏や源氏って先祖が天皇なの!?
そりゃ力持つに決まってる!



天皇たちは臣籍降下(しんせきこうか)といって「子どもがたくさんいるとお金かかるので、何人か家臣にしよう」って政策をとります。
このクラスの人たちだと子ども少なくても後継者不足問題にもなるし、多くても金がかかるし争う原因にもなるし、難しいですよね。



た、確かにそんなに子どもいらないじゃんって思ったけど、この時代病気とかで早死にするケースも多いからな…。



そんなわけで天皇の子どもだけど、一般人になりましたってのが平氏です。
一般人になるときに苗字の平をもらいます。これで今日から平さんとして生きることに。
一般人になるので、のちに天皇になるってことはできません。皇族じゃなくなるんで。



この芸能人の結婚相手が一般人っていうけど全然一般人じゃないやんって感じ…。



この4人の中で一番栄えたのが桓武天皇の末裔「桓武平氏」になります。
桓武平氏は平高棟(たいらのたかむね)から始まる公家ルート、平高望(たいらのたかもち)から始まる武士ルートに分かれます。
平安時代は貴族社会なので、公家ルートは大都会の超エリートみたいな感じ。武士ルートは田舎へ派遣されたけど、都会に戻っても勝てないから田舎で頑張ろうって感じのスタートです。


出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』



平氏に公家のイメージがあんまりなかった。
武士って最初そんな感じなんだ!



今の関東は都会ですが、この時代の都会は京都ですからね。
田舎で頑張ろうからの将門、その後やっぱ都会の方がいいってなって、京都の近くに来たのが一番有名な平氏になります。
平氏の活躍①





田舎で頑張ろうからの身内で反乱が起きたのが平将門の乱(たいらのまさかどのらん)。ここで将門を倒したのがいとこの平貞盛(たいらのさだもり)。朝廷からすると、「暴れてる将門を倒してくれた貞盛よくやった」と評価されます。


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しかし田舎で力をつけても所詮田舎。大都会京都の権力に抗えるものではないと感じたんでしょう。
四男の平維衡(たいらのこれひら)は都会に出て、国のトップの藤原道長(ふじわらのみちなが)の下につきます。


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藤原氏最強の道長殿に!?しかも四天王の1人!
大大大大大出世でござる!!



ただし住んでるところは伊勢国。
今で言う「東京は家賃高いから、埼玉から通う」みたいなイメージでしょうか。
伊勢平氏と呼ばれていきます。
平氏の活躍②





伊勢に来た平維衡の孫、平正盛(たいらのまさもり)の時代になります。
北面の武士という上皇のボディーガードの仕事をしています。
白河上皇(しらかわじょうこう)は院政を始めた人ですから、この時の最高のポジションにいます。


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出雲国で源義親の乱(みなもとのよしちかのらん)を鎮圧したことで、上皇に気に入られます。
その後、子どもの平忠盛(たいらのただもり)も活躍。海賊討伐や神社との揉め事を鎮圧するなど、上皇が困ってたことを解決してくれました。


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もう完全に大都会の人やん…!
鳥羽上皇(とばじょうこう)が言ってる昇殿(しょうでん)…?って何?


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昇殿は「天皇のいる場所に出入りできる資格」みたいなもので、これは誰でもできることではなく、かなり信用されてないと難しいですよね。
この資格がある人を殿上人(てんじょうびと)と言います。
田舎の武士だった平氏は、ここまで上りつめたということです。



院政の時は身分じゃなくて上皇のお気に入りになれるかだもんね!
めっちゃ上手くいってるじゃん!
全部勝ってる!



そして忠盛の子ども、清盛の登場で最高潮に。
清盛は保元の乱(ほうげんのらん)、平治の乱(へいじのらん)と「後白河法皇(ごしらかわほうおう)が困った大きな問題」を解決します。
もう超信頼しちゃうわけです。困ったらまず清盛に相談みたいな。


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この時の平氏はただのボディーガードじゃなく、大都会の国のトップの重要な役目を担う超絶エリートになってます。
平氏がこれほどの存在になれたのは、一説によると清盛は白河上皇の息子だからという話もあります。



………………え?
そ、そんな話はつい最近崇徳上皇(すとくじょうこう)でしたような…。
ヤバすぎ、白河ってか黒河…。


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平氏の政権





清盛による平氏フィーバーが訪れました。
その内容はこんな感じ。



摂津国!きり丸!🥷



日宋貿易(にっそうぼうえき)を始める前、個人的に貿易をしている人たちはいたんですが、平氏が大々的にやるのはここから。
南宋の2代目孝宗(こうそう)の時くらいです。





厳島神社(いつくしまじんじゃ)は海上交通の守護を目的につくられました。
まだ行ったことないんだよね…。
ここに平家納経(へいけのうきょう)というキラキラの仏教本を納めました。


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三十三間堂(さんじゅうさんげんどう)って平氏が作ったでござるか!?
知らなかったでござる!


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あとは土地も持ってたし、藤原氏を真似て外戚したり、栄華を極めていくんですが、ここで有名なあのフレーズが出てきます。



平氏にあらずんば、人にあらず!!!



清盛が言ったのではなく、清盛の妹の旦那、つまり義理の弟の平時忠(たいらのときただ)の言葉です。
「平氏最強!」くらいにしておけばよかったのに!



時忠殿は1,000年後にも通じるキャッチコピーを発案したでござる。
令和ならコピーライターとして活躍してるかもでござる!
あとがき



歴史を勉強している皆さんならもうわかると思いますが、最盛期の後は落ちていくのです。



祇園精舎の鐘の声!諸行無常の響きあり!



沙羅双樹の花の色!盛者必衰の理をあらはす…!


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