父がすごすぎると息子は大変なのはいつの時代も同じこと…。
なかなかいい感じで青ざめた顔してるわね。
最後の切り札を発動させるでござるか?!
登場人物
藤原頼通(ふじわらのよりみち)
家系:藤原北家
タイプ:Mr.悲運
父は望月の歌で有名な藤原道長。
同じようにやりたかったが、摂関政治が上手くいかない。
3人の天皇の関白を約50年務めた。
・平忠常の乱
・前九年合戦
・平等院鳳凰堂
日本は平安時代。
50年も関白を…長い!
FUJIWARAピーク、過ぎ去りし
この後も藤原氏は登場しますが、前回の主人公藤原道長(ふじわらのみちなが)の時が最骨頂でした。なのでこれ以降落ちていくんですが、まだ道長の栄華の影響があるので、そこまで下がった感じはしません。
天皇に娘を嫁がせまくったのよね。息子はそうはいかないってことかしら。
そう、「娘を天皇と結婚させ、生まれた息子に天皇になってもらう」作戦を決めまくった道長でしたが、これは運ゲーです。
お父さんのようにいかなかったのが息子の藤原頼通(ふじわらのよりみち)です。
わあ!この画面の中に7人もの天皇が!
頭が高いぞ!はは〜〜!
右下の三人の天皇は、生前に退位したので大筋の話には出てこなかったですが、この時には崩御されてます。
現在の天皇は道長の孫にあたる後一条天皇(ごいちじょうてんのう)です。
父のようには…
この時代一夫多妻なのは当たり前でした。道長も奥さんが複数おり、子どももたくさんいました。子どもがいっぱいいれば、男の子は偉い役職の仕事に就かせ、女の子は偉い人に嫁がせと、家の力を上げることができます。
そんな子どもを駒のように!と思いますが、現代の感覚では生き残れないのが貴族社会です。
藤原氏が此処まで力を持ったのも、そうした背景がありました。
しかし頼道には奥さんが一人、しかも子なし夫婦です。
ということは天皇に嫁がせ大作戦を取れぬということか…藤原氏の十八番が!
むむむ、しかし子は授かるかどうかは権力ではどうにもならぬ…。
「お前そんなんじゃいつもの作戦取れないんだから、早く他の女性と結婚して子どもつくれ」とセクハラします。
頼道も頭では理解していますが、妻を傷つけたくないと渋るのでした。
追い込まれた頼道は体調を崩します。
その後道長が亡くなり、その翌年に地方で反乱が起こります。
平将門(たいらのまさかど)と同じように平忠常(たいらのただつね)が起こした反乱なので、平忠常の乱といいます。
ここでは清和源氏の源頼信(みなもとのよりのぶ)が鎮圧します。
で、でた〜源氏!
後一条天皇が若くして崩御すると、次の天皇は弟の後朱雀天皇(ごすざくてんのう)が即位。
頼道はなんとか父の道長と同じように「天皇のおじいちゃん」となるべく、養女を嫁がせました。
しかし…頼道の弟藤原教通(ふじわらののりみち)、藤原頼宗(ふじわらのよりむね)も同じように娘を嫁がせてきます。
3人でデュエル!?
くぅ…!一体誰が勝つのか!
誰も勝ちませんでした。
3人の娘たちは男の子を産むことがなく、時が過ぎていきます。
追い込まれた頼道
後朱雀天皇崩御。次の天皇は後冷泉天皇(ごれいぜいてんのう)です。
祖父が道長で藤原氏の十八番「外戚関係」の天皇ですので、ここも問題ありません。
何が問題か。それは後冷泉天皇の次に天皇候補として名前が上がったのが、弟の後三条天皇(ごさんじょうてんのう)です。
後三条天皇は母が藤原氏ではなく、おじいちゃんは三条天皇(さんじょうてんのう)になります。
そうなると藤原氏が天皇と関係が薄くなるわね。
天皇の祖父だから偉そうにできたことができなくなる。
後三条天皇以外に候補者はいないの?
いないからつくるしかない。
頼道は妻一筋とか言ってられないので、別の女性との子どもを天皇に嫁がせました。
しかし…息子は生まれず、天皇のおじいちゃんになることはまたもや叶いません。
道長なら2回決めた勝負を外したのね。
こればかりは難しい問題だわ。
心折れる頼道
またもや地方で反乱が。
今度は東北になります。安倍頼時(あべよりとき)が納税拒否したため戦に。
最初は安倍氏有利だったんですが、ここで清和源氏の源頼義(みなもとのよりよし)が派遣され、東北日本海側の豪族、清原氏(きよはらし)も参戦して敗北します。
前九年合戦…!
あれ、でも62-51=11ではないか?
拙者でもこのくらいの算数はできる!教科書が間違っておる!(ドヤ)
この「9年」とは年号からではなく、「戦争があった期間」のことを指してます。
始まったのが1051年で、その間休戦している時もあります。なので9年間戦争したから前九年合戦といいます。
「前」というのはこの後「後」がつく似たような戦争があったからです。
論破…ならず…無念!
継承問題、地方反乱..頼道の心は荒んでいきます。
平等院鳳凰堂(びょうどういんほうおうどう)を造り、ここで隠居していくことになります。
関白を辞任し、弟の教通が務めます。
しかし…数年後に亡くなります。あとを追うように姉の藤原彰子(ふじわらのしょうし)と教通も。
栄華を極めた藤原道長の子の時代も終わりか…新たな時代がやってくる!
天皇の話に戻すと、後冷泉天皇が崩御し、藤原氏が恐れていた後三条天皇の即位となります。
藤原氏に気を遣いすぎないで済むので、自分で政治をしていきます。
延久の荘園整理令を出し、荘園の見直しを図ります。
荘園についてはまた別記事で説明します。
父の言うこと?聞かねーよ
後三条天皇は藤原氏の力を削ぐことに成功。
藤原氏のいいなりになるのではなく、天皇自らやるスタイルでいこうと考えます。
そこで長男の白河天皇(しらかわてんのう)に即位してもらい、その後は次男に…と計画していました。
しかし後三条天皇は退位後に病気で崩御。
即位した白河天皇は父の遺言を無視します。
なぜなら弟に譲っても、白河天皇に得はないからです。
まあ弟より息子の方が可愛いわよね、きっと。
それに天皇の父として口出ししやすいからかしら。
摂関政治(せっかんせいじ)は終わりを迎え、天皇上位後、上皇(じょうこう)となった人が政治に関与できる院政(いんせい)が始まっていくのでした!
あとがき
4月から日本史編やってたが、長かった…!
キリがいいとこまで来たので、次回から世界史編に移行!
平安時代も折り返し地点ね。
まだ先が長いわ。
もう…武士の世が迫ってきておる!
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