天皇にも推しメンが!?
学問の神推し!やっぱ推しメンは神だよね!
頭いい人に支えてもらえたら心強いよね!
この2人で仲良く進めていければよかったんですが…。
臣籍降下からの天皇
前回光孝天皇(こうこうてんのう)が崩御し、息子の宇多天皇(うだてんのう)が即位します。
宇多天皇は臣籍降下(しんせきこうか)して源氏(げんじ)を名乗ってたんですが、天皇になるために皇族に呼び戻された形です。
臣籍降下って皇族から一般人の身分になるってことだったよね!
だから源(みなもと)って苗字になるのか…!
一般人っていっても、ご先祖様が天皇なら、普通の一般人じゃないよね。
宇多天皇は一般人生活をしていたので、いきなり天皇として仕事してって言われてもよくわかりません。
頼れる父もいないし、そうなるとベテランの仕事ができる人、藤原基経(ふじわらのもとつね)を頼るしかないです。
私も藤原さんが何言ってるのかわからない…。
話がくどい…。
基経は摂政(せっしょう)という「天皇が政治できない時に代わりに仕事する」役職なんですが、その上が欲しいと野心を燃やしています。
めんどくさい藤原基経
仕事内容がわからない宇多天皇は、「摂政の仕事を全て任せたい」と伝えます。
しかし、摂政は「天皇が政治できない時に代わりに仕事する」役職。
全て任せるっていうなら、そういう権限のある役職をくれということで、「摂政は断る」と言われました。
一回断る形式とか意味不。
かまってちゃんじゃん!
形式なので、宇多天皇はもう一度言います。
今度は別の人にも相談し、阿衡(あこう)にすると言いました。
これは中国で使われてた偉い役職。これならいいよねと思いきや、ガチギレされました。そして仕事もボイコットします。
え、超ガキじゃない?
大人なんでしょ?
阿衡は名誉職で、「偉いけど権限はない」役職でした。
権力思考の基経からしたら、全然嬉しくない役職。
憎たらしいことに、基経は仕事の能力が高く、現場にいないと困るのでした。
ぐぬぬぬぬ!
基経の態度にムカついた宇多天皇でしたが、大人の対応をして謝罪。
関白(かんぱく)にするからと戻ってきてもらいました。
陽成天皇(ようぜいてんのう)のあたりから、実質全てのことを任されていた基経は、ここで正式に関白として振る舞うことができるようになりました。
天皇が発言を撤回して、藤原氏に頭があがらないことを知らしめる形になったこの流れを阿衡の紛議(あこうのふんぎ)といいます。
天皇が自分で政治をする
基経病死。
その後摂政も関白も置かず、宇多天皇自ら政治を行なっていきます。
寛平の治(かんぴょうのち)といいます。
そこで学問の神として相応しい頭脳の持ち主、菅原道真(すがわらのみちざね)を蔵人頭(くろうどのとう)に任命します。
宇多天皇すごい!最初はわからなかったけど、政治できるように勉強したんだね!
蔵人頭って秘書のリーダーだったよね?すごく信用してる人にしか任せられない仕事だね!
ここで有名な遣唐使(けんとうし)の廃止の話になります。
この頃の唐(とう)は超不安定な時代で、道真の言うとおり、勉強しに行ける状況じゃなかったです。実際10年後には、朱全忠(しゅぜんちゅう)により滅亡します。
3年後には宇多天皇は攘夷し、息子の醍醐天皇(だいごてんのう)が即位。この時に心得や剣をプレゼント。
ちなみに醍醐天皇は宇多天皇が臣籍降下していた時に生まれていて、そういう天皇は醍醐天皇だけです。
宇多天皇は藤原基経にやなこと言われたから、息子にも気をつけて欲しかったんだね!いいお父さん!
藤原氏の十八番
この時実質No.1のポジションにいたのは、藤原時平(ふじわらのときひら)です。
藤原氏はエリートとして君臨してきていましたが、天才&努力家で気に入られていた道真を敵視します。
藤原氏でなく、菅原氏が繁栄していってもらっては困ります。
時平は醍醐天皇に「道真が悪いことを企んでいる」と嘘を伝えます。
正式に道真は大宰府に左遷が決定。役職名はありますが、事実上無職になり、自腹で京都府から福岡県まで行かされました。
何?藤原氏って性格悪いやつしかいないの!?
あー親もムカつく顔してたけど、こいつもムカつく顔してるわ!
蛙の子は蛙ってわけ!?
宇多天皇は推しメンの道真を助けようとしますが、それも時平に阻まれます。
やっと会えたね、宇多だよとはなりませんでした。
これを昌泰の変(しょうたいのへん)といいます。
醍醐天皇の政策で、延喜の荘園整理令(えんぎのしょうえんせいりれい)があります。
この頃の荘園(しょうえん)が増え、税金が集められないことが問題でしたので、これを解消するために戸籍とか諸々整理してちゃんと田んぼ配ろうとしました。
戸籍を整えても実際は税がキツくて民が逃げる。
そんな形式だけちゃんとしようとしても、ちゃんと税金を集めることなんて無理なんじゃ!と10年後くらいに意見書が提出されます。
…ちょっと話難しいので、後日補習お願いします。
道真の怒り
左遷された道真は、衣食住もままならない生活を余儀なくされ、非業の死を遂げます。
無職で貯金も頼る人もいない状態にされるなんて…。
藤原氏はさぞ喜んでいたことでしょう。
学問の神さまってこんな酷い目にあってたの…?
なんで真面目に仕事してた人がこんな風に扱われないとなの!
おかしいよこの世の中!
道真の死後、都で大変なことが起きるようになります。
まず喜んでた時平、他の藤原氏の死。醍醐天皇の子どもや孫の死、落雷で死傷者多数、そして醍醐天皇の崩御です。
こ、こんなことが起こるの?!
学問の神さまを左遷したことに関わった人たちの不幸…。
こ、これって…祟り?!きゃ〜〜〜〜〜〜〜!!!!!
これが道真が日本三大怨霊のひとりに数えられる理由です。
実際祟りだったのか、それは分かりませんが、自分が道真の境遇だったら化けて出てやると思っちゃいます。
道真を鎮めるために、北野天満宮(きたのてんまんぐう)に神として祀られます。
そして醍醐天皇の時代は権力者ポジションにいいようにされず、天皇自ら政治ができた時代だったので、延喜の治(えんぎのち)として理想的だといわれるようになります。
醍醐天皇の次の天皇は自由にできるといいね!
性格悪い藤原氏出てこないで…性格いいならいいけど…。
あとがき
長らくお待たせしました。
次回、武士登場です。
え!私は特に待ってない…。
あたしはイケメンの登場を待っている!
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