
こめ治承・寿永の乱で一番活躍したのが義経です。
今回は義経の進撃回です。



キタ〜〜〜〜!!!



パォ〜〜〜〜!!!


源義経(みなもとのよしつね)
家系:河内源氏
タイプ:源平合戦のヒーロー
平治の乱で父を亡くし、その後は京都鞍馬山に預けられる。幼名:牛若丸。その後は岩手県の平泉で庇護され、のちに兄の頼朝に合流。
源平合戦で無類の強さを発揮するも、空気の読めないオレ様加減が首を絞めていく。
・一ノ谷の戦い
・屋島の戦い
・壇ノ浦の戦い
日本は平安時代。



義経は綺麗なヒーロー像と小憎たらしいヒーロー像と、色々あるゾウ。
弟たちを派遣





前回は源氏VS源氏で源頼朝(みなもとのよりとも)が勝利し、源氏のトップにいます。
頼朝は鎌倉で次の時代の準備をするので、戦いは弟の源義経(みなもとのよしつね)、源範頼(みなもとののりより)に任せます。


出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


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義経…。なんて単純そうな…。



一方天皇家サイドは複雑なことに。
平清盛(たいらのきよもり)の孫にあたる安徳天皇(あんとくてんのう)が現在の天皇ですが、平氏に連れられ西国に逃走中。
なので京都では後鳥羽天皇(ごとばてんのう)が即位。


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ほんまや!この期間だけ、天皇が2人!?



天皇即位のときに三種の神器が必要です。
「八咫鏡(やたのかがみ)」「天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)」「八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)」です。剣は草薙剣(くさなぎのつるぎ)とも。


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後鳥羽天皇はこの道具がない状態での即位となりました。
なんでないか、安徳天皇が持ってるからです。
このことがのちにコンプレックスになっていくのでした。
一ノ谷の戦い





京都から義経・範頼は平氏追討に福原に向かいます。
義経は山の方から攻めていくんですが、ここで有名なのが鵯越の逆落としです。


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四足歩行舐めないでほしいゾ!
ボクらも山移動したことあるゾ!





義経の奇襲により、源氏が大勝します。
撤退する平氏の中に、平敦盛(たいらのあつもり)という青年がいました。源氏軍の熊谷直実(くまがいなおざね)は逃げるなと行って敦盛を呼び戻し討ち取るんですが、立派な若武者の敦盛を斬る直実の心中の苦しさもエピソードとして有名。


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あつ森…じゃなくて敦盛って、織田信長(おだのぶなが)の「人間五十年〜」の歌でも有名だゾ!


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戦後、平氏はさらに西に逃げます。
清盛の命令で奈良の都を焼くことになった平重衡(たいらのしげひら)はここでやられます。


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屋島の戦い





次の舞台は四国。その前に後白河法皇(ごしらかわほうおう)は義経を気に入ります。検非違使(けびいし)という、警察的な役目をもらいました。
一方範頼は先に平氏を追ってましたが、苦戦しております。


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義経は普通なら3日かかる道のりを4時間で進みました。
屋島は現在は繋がってますが、当時は海でした。
ここで有名なのは那須与一(なすのよいち)の扇の的です。



義経がパワハラしてやらせたヤツや!
かわいそうな与一はん!


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ここでも勝利し、さらに平氏は西へ向かいます。
いよいよ最終決戦です。
壇ノ浦の戦い





西に向かって逃げてきた平氏でしたが、範頼が九州におり、四国からは義経がやってきます。挟み撃ち状態です。
最終決戦、壇ノ浦の戦いです。
最初は平氏が優勢でしたが、次第に源氏優勢に…。



ここもいっぱい有名エピソードがありますが、一番は安徳天皇の入水でしょうか。
天皇から見ておばあちゃんの平時子(たいらのときこ)に抱っこされ、海に沈んでいきました。



おばあちゃんと孫の悲劇は苦しいゾ…。



あとは義経の八艘飛び、三種の神器の一つの剣が沈む、平知盛(たいらのとももり)の最後など。
平氏の最後は名シーンばかり。


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なんだか悲しいゾ…。
みんな潔く散っていくんだゾ…。



と言いたいところですが、死にきれなかった人もいました。
いざってなると難しいんでしょうね。
源氏の不穏





生存者であり総大将の平宗盛(たいらのむねもり)は一旦鎌倉に連れて行かれたあと、京都に向かう途中で斬首。
よく平家滅亡とか言われますが、あくまで清盛の一門を指しており、他の平氏は滅亡してません。


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それワテも気になっとったんや!
平氏の生き残りとか、今でも平さんはいるしな!



範頼は九州に残って戦後の処理をします。
大活躍だった義経ですが、京都に戻って後白河法皇と盛り上がってました。
部下にも役職を与えられ、法皇の超お気に入りになります。



まあ義経がいたから勝ちまくってこれたし、ちょっとくらいは調子に乗りたいよなあ!
法皇にも気に入られたらそりゃ…。



義経は戦争は得意でしたが、政治は苦手でした。
後白河法皇は駆け引きの天才で、のちに頼朝は「日本第一の大天狗」と言ってます。まあ簡単に信用しちゃいけないんです。



舞い上がった義経は信用してしまった。
このほかにも合戦でのオレ様な態度や、人の話聞かなくて仲間割れしてたとか、自己中さについて義経と仲の悪い人が頼朝に手紙でチクりました。



義経!?なんや正統派ヒーローかと思いきや、オレ様キャラだったんか!



頼朝は激怒します。
忠告を無視して法皇にいいようにされ、仲間からも人望がない様子が窺え…。
平氏を倒すという活躍できる機会は終わりました。この先の義経の運命やいかに!
あとがき



10年くらい前に壇ノ浦行きました。
その時の写真が見つからん!



銅像がカッコいいゾウ!



親父ギャグ!寒くてねこんでしまうわ〜!


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