

イスラーム世界の有名な王朝や人をもう少し深掘りします。
今回は英雄サラディンです!



寛仁大度…?なんて読むの?



かんじんたいど!
心が広く、慈悲深く、器の大きいことであります!


サラーフ=アッディーン
王朝:アイユーブ朝創始者
タイプ:寛仁大度
イスラーム世界の英雄。敵対者にも称賛される人格者。
アラビア語を英語で発音しにくくて、ヨーロッパではサラディンって呼ぶように。
トップの手本となるような人物。
・第3回十字軍
日本は鎌倉時代。



このサイトではサラディンで統一して呼んでいくよ!
0歳で追放





サラディンの生まれた年は確定されてないんですが、1137〜1138年と言われてます。
お父さんはセルジューク朝の代官。兄弟は3人いて、何番目に生まれたか不明です。





十字軍の回でも何度も出てきた聖地エルサレム!
この時は第1回が終了し、エルサレムは十字軍のものであります!
サラディンはとり返す側であります!





そんなサラディン最大の特徴は「敵対したキリスト教徒たちからも評価が高い」ということです。
敵の大将だったら悪く言われそうですが、そうじゃない。
サラディンが人格的に優れていることを表しています!



サラディンが生まれて間もない頃。
叔父さんが誤ってキリスト教徒を殺める事件が発生します。
一家同罪ということで、サラディン一家は住んでいたところを追い出されてしまいます。



何も悪くないのに可哀想であります!
情けは人のためならず





途方に暮れたサラディン一家に救いの手が差し伸べられます。
ザンギーという武将ですが、かつてサラディン父が助けたことがある人です。
その様子を見たサラディンは人格が磨かれていきます。



情けは人のためならずって相手のためにならないって意味だと思ってた…。
そっか、人助けは自分のためになるんだ!



しかし、ザンギーは部下に暗殺されてしまいます。
ザンギーが治めていた土地(サラディンたちが住んでる)を奪うチャンスだと思って、別の勢力が攻撃してきました。
これに対しサラディン父は耐えて、交渉の末ダマスクスに移り住むことになりました。



しばらくして大人になったサラディンは、ダマスクスから旅立ちます。
ザンギー息子に仕えることにしました。
叔父さんはすでに仕えていました。



すごーい!サラディンもお父さんと同じように人のためになるように動くんだね!


出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
関係悪化





ザンギー息子、サラディン、叔父さんはファーティマ朝が支配するシーア派に侵攻します。
この時ファーティマ朝は内紛で弱体化しており、攻め込む好機でした。



サラディンはあまり乗り気じゃないみたいであります!



攻めた結果、ファーティマ朝は制圧し、叔父さんが偉い立場になりました。
しかし急死してしまい、ファーティマ朝の残った勢力は思います。
「サラディンは若くて経験値も少ないはず。言うこと聞かせるには都合がいい」と。



舐め腐ってるであります!
相手はのちにイスラーム世界の英雄になる男であります!



ここでファーティマ朝からサラディンをトップとしたアイユーブ朝ができました。お父さんの名前からとっています。ここでもサラディンの人格が見えてきますね!



めでたいのも束の間。不穏な雰囲気が。
アイユーブ朝は新しくできた王朝なので大忙し。
それを気にしていたのはザンギー息子です。



ザンギー息子はサラディンの上司に当たります!
支部(アイユーブ朝)の方が盛り上がってたらいい顔できないであります!



両者の関係は悪化していきました。
一方ファーティマ朝に存在していたカリフも亡くなり、完全に終了しました。
VSシリア、VS十字軍





ザンギー息子病死。後継は幼い息子です。
これを好機と見た周辺勢力&十字軍は攻め込もうとしてきます。
幼い後継者は太刀打ちできないので、サラディンに助けを求めました。



さ、サラディンはどうするの!?
敵になった上司の息子に答えるの?



荒れそうなシリアの地に入り、サラディンが統治することで話がまとまっていきます。頼れるリーダーなら納得です。ここでシリアを手に入れました。
そしてザンギー息子の奥さんも手に入れました。



ザンギーさんの息子さん…ドンマイ…。元気出して…。



これで安心はできません。十字軍が残ってます。
サラディンは初戦敗退しますが、挽回してエルサレムの奪還に成功します!
こうして第1回十字軍に奪われたエルサレムはイスラーム勢力のものになります。



十字軍も強い!
こうなったら十字軍もまた取り返しに攻め込んでくるね!
平和条約




出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


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戦いの末、両者の間で平和条約が結ばれます。
内容は「エルサレムはアイユーブ朝が治めますが、キリスト教徒も巡礼に来ていい」。
これでキリスト教徒たちは聖地に来ることが認められました。



このことからサラディンは人格者で、キリスト教徒からも評価が高いのであります!



翌年サラディンは亡くなります。
その後息子が継ぐも、アイユーブ朝はサラディンのような人物は現れず、次に来た十字軍にもうまく対応できず、どんどん弱体化していきます。
最終的にマムルーク朝により、アイユーブ朝は倒されました。


あとがき



寒くなってきました。
冷え性なので体調管理しっかりして継続していきます。



もふっ



モフッ
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